電子立国は、なぜ凋落したか、の答え

答えは2つある。

1つ、強力な旗振り役がいなかったこと

元気があったころの半導体には、シリコンサイクルという約4年毎の世代交代というものがあった。
つまり、・・・→1MDRAM→4MDRAM→16MDRAM→・・・
のように、世代が変わるごとに設計値が変わり、材料が変わり、設備が変わった。
このサイクル、誰が決めたわけでもなく、自然に発生したものだった。
そんなわけで、半導体メーカーだけでなく、材料メーカーや装置メーカーも自主的に世代に応じた製品を提供していたのである。誰に指示されるわけでなく・・・
ここが問題だった。
指導者が生まれなかった(不要だった)のである。

このシリコンサイクルがおかしくなってきたのが64MDRAMの頃から。
設計基準が上がり、装置価格が高騰し始め、半導体メーカーは工場新設や装置導入に消極的になった。
ここで、サイクル通りにしておけば投資をなんとか回収できたのだが、投資を渋ったため生産が遅れてしまったのだ。半導体以外でもそうだが、儲かる時期というものがある。これに乗り遅れてしまった。
半導体メーカーは、あわてたが後の祭り。どうにもならない。
なんとか利益を出そうと、そのあとからは経営陣が「半歩先行」などど高らかに叫んだため、各社開発競争がおこり、シリコンサイクルが崩れてしまったのだ。

このあたりから、DRAM以外で利益を、と考えるようになって、細々と作っていたMPUやCMOSに懸けるようになったが、これらの製品も設計基準が上昇し、DRAM専用の工場でそれらを作れなくなってしまった(DRAM用にチューニングされた装置でMPUやCMOSは製造しにくい)。少量多品種で歩留まりも上がらず、利益も・・・・・って感じだ。

民間の半導体メーカーの中から旗振り役が出てくることは難しい。
本来、外貨稼ぎ頭の産業だから、国策として国が旗振り役となるべきだった。
経済産業省がもっとぎっちり監督指導していれば、こんなことにならなかったであろう。


1つ、知的財産戦略に甘かった

つまり、特許戦略がメタメタだった。
確かに、特許出願せよ、というハッパはかけられていたが、
件数ばかりでどのように管理していくかのビジョンが全くなかった。

設計に関するものであればそれでもよいが、
製造に関するものは、装置メーカーとの共同出願としておくべきだった。
半導体の設計規格の上昇に伴い、装置メーカーと試行錯誤で装置を開発したのに、半導体メーカはそれを放置。
装置メーカが単独で特許出願してしまい、装置メーカの特許権になってしまったものが多数。
装置メーカは、その特許権の装置を海外にバンバン輸出。
DRAMは装置さえあれば誰でも作れるので、中国、東南アジアのメーカーが安く作ることになってしまったのだ。

半導体メーカが知的財産をしっかり管理し、他国へ装置販売を徹底的に管理すれば、
今も電子立国日本は存在し続けていただろう。

電子立国は、なぜ凋落したか
日経BP社
西村 吉雄

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